マックス・フライシャーのアニメについて。 2/3

2014年06月26日 00:33

1915年頃のアニメとは紙に書いた線がスクリーンで動くという、それだけの酷いモノだったそうだ。これをロトスコープという装置を考えて実用化したのはマックス・フライシャーで、弟のディブがピエロの格好で動く実写フイルムを1分程度撮り、分解研究、絵にしてコマ撮りするという、アニメーションを革新するシステムを作り上げる。
その辺りの記述も、前回紹介の本「アニメーションの歴史的変革者」に詳しく語られている。

その後に"アウト・オブ・ジ・インクウェル"(インク壺から)という会社を立ち上げ、ピエロを主人公にした短編の製作に入り、1919年にその第一作が公開され、最大級の賛辞を受ける事となる(作品は、"Out of the Inkwell"で検索してYouTubeでご覧頂ける)。

フライシャーの運の悪さもこの頃から始まっていてインクウェル社も人手に渡るトラブルに見舞われるのだが、10年後にフライシャー・スタジオを起こし、「ベティ・ブープ」「ポパイ」の後世に残る作品群を発表し続ける事となる。
やがて映画はカラーの時代になり、1938年に発表したカラー長編「ガリヴァー旅行記」がヒットし,パラマウントは長編二作目の「バッタ君町に行く」の製作を了承する。

この頃、「ベティ・ブープ」が当時の映画製作倫理規定に引っかかり検閲を受け、いわゆる色っぽいベティが製作出来なくなり、人気が落ち、やむなく製作中止に追い込まれる。…現在から考えると信じ難い話だが、そういう時代だったのだ。
(筒井康隆がベティのファンで「ベティ・ブープ伝―女優としての象徴 象徴としての女優」という本を中公文庫から出しているので、興味ある方は探してお読みください、面白いです。絶版らしいけど中古本も結構出てます)

次回でフライシャー・アニメの最大傑作「スーパーマン」について触れる…(ので、未だ続く)。


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