マックス・フライシャーのアニメについて。 1/3

2014年06月24日 00:14

6月3日の"ウルフ・オブ・ウォールストリート』"の記事中、及び、5月24日の"ロバート・アルトマン"の記事中で、フライシャー・アニメの「ポパイ」について言及しているので、改めてフライシャー・アニメを取り上げてみる。

マックス・フライシャー。1900年頃に風刺漫画家としてデビュー後、弟のディブ・フライシャーと共に、アニメーションの制作の為のフライシャー・スタジオを設立し、「ベティ・ブープ」「ポパイ」「スーパーマン」等の作品を世に送り出した人物である。
マックスの長男が,「海底二万哩」「ミクロの決死圏」の映画監督のリチャード・フライシャーで、既に2006年に亡くなっているが、彼が生前に書いたマックス・フライシャーの伝記がある。
「アニメーションの歴史的変革者」のタイトルで2009年に株式会社作品社という出版社から邦訳も出ている(詳細はこちら)。

フライシャーは、ディズニーのライバルと言われながらも、ディズニーに勝てなかった悲劇の作家という認識が一般的だが、実のところディズニーの初期作品はフライシャーの模倣から始まっている、但しディズニーが「シリー・シンフォニー」を出したあたりから、形勢が逆転し、フライシャー・スタジオに多額の融資をしたパラマウントが、ディズニーを模倣せよと迫る事となり、結局はパラマウントに製作スタジオを潰されてしまう。
ここら辺りは上記の伝記本に詳しいが、著者である息子のリチャードがディズニーに呼ばれ「海底二万哩」の監督をオファーされた時に、「私が誰だがご存じですか?」と言ったと言う逸話が面白い。

初期のアニメは、シュール且つグロテスクなデフォルメを特徴としているが、これはサイレントの喜劇映画を超える笑いを取るために、実写では出来ないギャグを産み出そうとして作られたもので、ここら辺りは、フライシャーもディズニーも同様だが、ディズニーがフライシャーの模倣から始まったという話は、YouTubeで両者の作品を比較鑑賞して頂ければ良く判る。 …(続く)


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://coelacanthnote.blog9.fc2.com/tb.php/916-98c3becd
    この記事へのトラックバック


    最新記事

    プライベートリンク

    ------------------------------------------------------------